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「守り神の思い出話」

アトリエとして使用する山形県西川町の旧水沢小学校で開催した誰も来ない個展。(というより立地条件の問題で集客が難しい)小学校からの付き合いの同級生と久しぶりに会ったことがきっかけで作品を制作し、彼の地元の廃校で開催した。自分の住んでいる地元(寒河江・西村山)は自分が高校生くらいの頃まで都心部では絶滅種になった昭和的なヤンキーのノリが未だに残っており、携帯の普及とミックスし都心部にはないような独自のヤンキー文化を形成していたように感じる。

自分もその同級生もその文化に染まった1人で、高校時代は何回停学喰らったとかしょうもない数比べをしたり、喧嘩の引き金を作ってパトカーを呼び出したり、県内ではSNSで1番最初に不祥事をやらかし謹慎を喰らうなど、普通に頭の逝かれた少年であった。

久々に再開した話題もその時つるんでいたやつが刑務所に入ったとか、面白おかしく行った心霊スポットで卑猥なことをした奴がいるだの、中身は根本的に10代の頃と変わっていないような会話だった。

その反面、最近の餓鬼はメンタルが弱いだとか大人し過ぎるとか、かって自分たちも言われていたような言葉で今の少年たちを否定するような会話もあり、自分もすっかりおじさんになったのだと寂しい気持ちになった。

自分は置いといて、その逝かれた同級生たちは経営者になってたり、町の産業の重要な役割にいたりと当時からは考えられないくらいまともになっていた。

それは本人の努力もあったと思うが、何よりそういった状況の少年たちでも、最後まで面倒を見てくれた大人の存在があったからだと思う。

​否定する大人は多々いれど、絶対に見捨てない守り神のような大人もいたから、最終的には道を踏み外さずに少年時代の良い思い出話で済んでいるのだ。

​少子高齢化や悪い意味での規制の複雑化の時代の中で守り神の立場になった自分たちは守りとして守るべきものを守ることができるのか。

そんなことを考えながら、使用しているアトリエの廃校で守り神になったかっての少年たちの思い出話を描いた版画を展示した。








 

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