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「戦争参加者への治療薬」
制作年 2021   映像 4分5秒
西永怜央菜との共同制作

沖縄県在住の作家・西永怜央菜とは直接会ったことはなかったものの、数年前にSNSで知り合って定期的に連絡を取り合うような仲だった。

彼女と私の家族たちがかって沖縄戦で戦った歩兵32連隊の関係者であったという縁からコロナウイルス感染拡大の中で沖縄と山形の遠く離れた場所の会えない関係の中から歴史を繋ぐ方法を模索すべく共同制作が始まった。

山形と沖縄の歴史的関係は意外と深く、2代目沖縄県令(現在の県知事)が山形出身であったり、沖縄戦で日本軍の中心的存在だったのが山形を拠点に活動した歩兵32連隊である。

沖縄では終戦の日は昭和20年6月23日とされているが、その日はちょうど歩兵32連隊の牛島満中将が自殺した日だった。

西永氏の曽祖母らは32連隊の従軍炊事班として沖縄戦に参加し戦死したそうで、現地では戦争参加者として慰霊の対象になっているそうだ。

しかし、山形では彼女ら戦争参加者の慰霊の話は聞いたことがなかった。

山形と沖縄の歴史認識の乖離を埋めるべく、32連隊に動員された戦争参加者の山形での慰霊の方法を模索した。

まず、西永氏に米軍占領期まで沖縄女性のファッションの象徴であった軍服で作ったワンピースを送ってもらう。

そして、ワンピースに山形の戦争史跡で日本軍の軍服を着た私が睡眠薬とミルクを混ぜた”治療薬”を用いてエバーミングという処置を施した。

かって沖縄戦で動員された女性は、日本兵へ青酸カリとミルクを混ぜたものを飲ませ、葬ることで最後の処置を行っていたという。

その歴史に則り、青酸カリの代役として睡眠薬とミルクを用いてワンピースに込められた歴史を葬ろうとすることでお礼がえしを試みたのである。

尚、この作品はコロナウイルス感染拡大で様々な制作の変更が生じた他、発表する展覧会自体もその影響で延期になり、作品と展示を含めて大変な思いをしたことが印象に残っている。

しかし、最後の最後に32連隊に所属していた2人の家族が見守ってくれたのか、西永氏の作品の題材であるハロウィンの神が力をくれたのか、

展覧会に関わったメンバーの根性がコロナを吹き飛ばしたのか

2021年10月31日のハロウィンの日に無事に展覧会を終えることができ、今まで1度も会うことのなかった西永氏とも直接会うことが実現した。



 

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渋谷剛史・西永怜央菜2人展「OKIMIYAGE」
​会期 2021年9月18日〜10月31日 会場 HESO

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